説教:2020年9月20日 動画「パンを食べ・ぶどう酒を飲み、主の真の身体に与る」磯部理一郎 牧師

 

ヨハネによる福音書:6章47~59

コリントの信徒への手紙一:11章16~34

ハイデルベルク信仰問答:78~79

 

小金井西ノ台教会 聖霊降臨後第17主日礼拝

信仰告白『ハイデルベルク信仰問答』78~79

イエス・キリストの聖晩餐について(2)

 

 

問78 (司式者)

「では、キリストの身体と血の本質は、パンとぶどう酒から生じるのか。」

答え (会衆)

「いいえ。洗礼の水が、キリストの血に変化せず、罪それ自体を洗い流さないように、

それは、ただ神による記念と保証のしるしです。

同じように、聖晩餐で聖別されたパンも、キリストの身体それ自体に変化することはありません。

ただ、それは、聖礼典の性質と慣例に基づいて、キリストの身体である、と言われます。」

 

 

問79 (司式者)

「では、なぜキリストは、パンを『わたしの体』と呼び、

杯を『わたしの血、新しい契約の血』である、と言われたのか。

また、なぜ聖パウロは『キリストの体と血にあずかる』と言ったのか。」

答え (会衆)

「重要な理由があり、キリストは言われるのです。

パンとぶどう酒がこの世の生命を養うように、

十字架につけられたキリストの身体と流された血は、

永遠の生命に至らしめる、私たちの魂の、真(まこと)の食べ物と飲み物だからです。

しかしキリストは、ただそう教えられるだけではないのです。

キリストは、この目に見えるしるしと保証を通して、むしろ確約しておられるのです。

私たちが、肉の口でキリストの記念として、この聖なる記念のしるしを受けるとき、

キリストは、聖霊の働きを通して実際にご自身の真の身体と血とに私たちをあずからせるのです。

それはまさに、私たちが、自分自身の人間性において、ありとあらゆる苦難に悶え苦しみ、

完全に罪の償いを果たし尽くしたかのように、それほど確かに

キリストご自身の苦難と従順のすべてが、私たち自身のものとなるのです。」