ヨハネによる福音書:6章47~59
コリントの信徒への手紙一:11章16~34
ハイデルベルク信仰問答:78~79
小金井西ノ台教会 聖霊降臨後第17主日礼拝
信仰告白『ハイデルベルク信仰問答』78~79
イエス・キリストの聖晩餐について(2)
問78 (司式者)
「では、キリストの身体と血の本質は、パンとぶどう酒から生じるのか。」
答え (会衆)
「いいえ。洗礼の水が、キリストの血に変化せず、罪それ自体を洗い流さないように、
それは、ただ神による記念と保証のしるしです。
同じように、聖晩餐で聖別されたパンも、キリストの身体それ自体に変化することはありません。
ただ、それは、聖礼典の性質と慣例に基づいて、キリストの身体である、と言われます。」
問79 (司式者)
「では、なぜキリストは、パンを『わたしの体』と呼び、
杯を『わたしの血、新しい契約の血』である、と言われたのか。
また、なぜ聖パウロは『キリストの体と血にあずかる』と言ったのか。」
答え (会衆)
「重要な理由があり、キリストは言われるのです。
パンとぶどう酒がこの世の生命を養うように、
十字架につけられたキリストの身体と流された血は、
永遠の生命に至らしめる、私たちの魂の、真(まこと)の食べ物と飲み物だからです。
しかしキリストは、ただそう教えられるだけではないのです。
キリストは、この目に見えるしるしと保証を通して、むしろ確約しておられるのです。
私たちが、肉の口で、キリストの記念として、この聖なる記念のしるしを受けるとき、
キリストは、聖霊の働きを通して、実際にご自身の真の身体と血とに私たちをあずからせるのです。
それはまさに、私たちが、自分自身の人間性において、ありとあらゆる苦難に悶え苦しみ、
完全に罪の償いを果たし尽くしたかのように、それほど確かに、
キリストご自身の苦難と従順のすべてが、私たち自身のものとなるのです。」