説教題:「皆、キリストを着ている」(ガラテヤ書 連続講解 第9回)

旧約聖書:詩編 93章1~5節
新約聖書:ガラテヤの信徒への手紙 3章23~29節
説教題:「皆、キリストを着ている」(ガラテヤ書 連続講解 第9回)
讃美歌(説教後):讃美歌 21-438番
(説教者:武田英夫牧師)

本日のテキストの中、27節に「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなた方は皆、キリストを着ている」とあります。

「キリストを着る」とは、自分の罪を自覚し、とても神さまの前には出られないと思っているような人にも、主イエスキリストという衣服を着せていただき、それで着飾って神の前に出られるようになるということです。

このことに相応しい主イエスの譬え話がマタイ22:9~14にあります。ある王が王子のための婚宴を催したが、欠席者ばかりであったので、王は、僕に誰でもよいから連れて来なさいと命じました。そこで多くの人が招かれましたが、一人だけ礼服を着ないで来ていた人を王は怒って、その無礼者は外に放り出せと言ったというお話です。

これは皆が同じように祝宴に招かれているのに、一人だけはその祝宴に相応しくない姿であったということです。私たちも、自らは神さまの前には相応しくない者であるのに、キリストという礼服を着せられた者として、神の前に出てゆくことが許されているのです。キリストを着るということは、主イエス・キリストによる福音を受け入れたことであり、それまでは律法が私たちをキリストに導く養育係になってくれたのです。

養育係は幼い子供を危険等から守るための付き添いの役割です。主キリストが来てくださった時までは立派に養育係としての役割を果たしてくれた律法は、今や新しく現れたキリストの福音に取って代わられたことになるのです。